今はカトマンドゥの隣,パタンという街に居ます.ポカラに比べて昼間は若干涼しいんですが,排気ガスと埃が相まって,どこに居ても爽快感がありません.で,翌日に仕事で重要な打ち合わせがあって,たくさん英語しゃべらなければならない,とちょっと気が塞ぐ心持ち.ファイナルファンタジー6を知らない人はごめんなさい.

私の英会話能力って言うのは,中高大までの授業と,大学院でアホみたいに英語の論文読まされた,+旅行中になんとなく獲得したヒアリング能力,が合わさった,TOEICで言うと700点くらいの頼りないものです.その中で,実地で役に立ってるのは,大学受験の時に詰め込んだボキャブラリーと,旅行中に獲得した心もとないヒアリング能力ってのが私の感触.受験勉強って,結構後々役に立つので,受験生の方々は,抜け毛が増えるくらいには頑張っていただければと思います.
まぁ,以上のアビリティをもって,ネパールで私は日夜アホな事を口走っているわけです.それを前提に,明日めっさ英語話さなあかんとビビる私は,コミュニケーションについて思いを馳せる訳ですね.ビビりを抑えようにも頭に色々浮かんでくるので,もうこれは馳せざるを得ない.

私の仕事における会話は,基本的には英語と,現地で雇っている,日本語が話せるネパール人の通訳兼色々サポート係みたいなおっさんとの日本語での会話で成り立っています.このネパール人のおっさんってば元アル中で,っていうか私と会う直前までアル中で,しかも42歳で無職だったりしたんですが,まぁ彼についてはまた今度.で,仕事の折衝なんかがあると,私とおっさんで乗り込む事になります.

そこで展開する会話って言うのが,

・私が英語で甲について話す
・相手が英語で甲について答える
・おっさんと相手が怒濤のように,甲どころか乙,丙くらいについてネパール語で話す
・おっさんが日本語で,甲どころか乙,丙くらいについて私に要約して伝える
・甲を踏まえて,私が英語で丁について相手に伝える
・私が英語で乙,丙について相手に伝える(or 面倒くさくなって,私が日本語でおっさんに乙,丙について答える)

こういう形になる事が圧倒的なんです.この結果,甲について話していたはずなのに,乙と丙まで話題に上ってきて,しかも彼らがネパール語で話した部分については,私はおっさんが要約した情報しか得られないまま,丁に加えて,さらに乙,丙についてまで話したりしてる.もう何がなんだか分からなくなるんですね.
最近じゃ私が単位とか簡単なネパール語を覚え始めて,英語の会話の中にもネパール語が混じり始めたりしてほんとカオス.分かったような気になって話を終えるんだけど,後になると分かってない.最初は全部の言語が一応わかるおっさんが色々把握しといてくれるだろうとか油断してたんですけど,実は彼もよく分かんなくなってたみたいでして.その結果,先日それで割と重大な行き違いとか起こっちゃったりもしたんですよ.

このケイオティックコミュニケーションの原因としては,私ー相手間のコミュニケーション手段である英語(外国語ー外国語)と,私ーおっさん間のそれである日本語(母国語ー外国語),そして,おっさんー相手間で使用されるネパール語(母国語ー母国語)における交換可能な情報量の差が,すべてが並列してなされる会話の中で情報交換の速度を混乱させていることが挙げられます.
これを解決する為には,その場での情報交換の速度を出来る限り統一する事が必要なんですが,このさじ加減がなかなか難しい.英語のみで話すことが手っ取り早いんだけれども,恥ずかしながら私の英会話能力ってのが上述した通り心もとないんですね.さらにおっさんにとっても(時には相手にとっても)英語ってのは外国語な訳で,私もおっさんも,場合によっては相手も含めて誰一人会話の内容を正確に理解出来ていない,という事態があり得る.ならば,比較的情報量の大きい日本語とネパール語使って,私←日本語→おっさん←ネパール語→相手,という形をとるのが良いかと言うと,会話が完全におっさん頼りになって,私の得られる情報量と相手の得られる情報量に大きな差が出来てしまう恐れがある.
最近は基本的には英語で,事前にこれだけははっきりさせるって言うリストを用意したり,メモ帳に片っ端から話した事を書いたり,出来るだけ正確を期せるようにして場に臨むことが多くなっているんですが,これもまた時間がかかって,正確さは増したけれど,効率的でない.通訳的役割を剥奪されてお茶ばっか飲んでるおっさんの姿も物寂しい.

げにコミュニケーションとは難しいものよのうと思う訳ですが,よく考えると,今こうして自分が考えながら書いている文章が,日本語を読めない人にとっては完全に理解不能ってのはすごいことですよ.文字数が何文字だね,とか,ここで段落がかわってるんだね,とかも下手すれば一切伝わらないですからね.
まぁ,コミュニケーVョンって言うのは,意図する内容が正確に伝わってるかどうかってのは究極的には分からない訳で,完全なる相互理解ってのは望む方が無謀な訳です.
でもそれを言っちゃあおしまいで,みんなで工夫しあって,出来るだけ正確に理解しあえるよう世界を作ってきた.そんで,文字とか言語を作ってなんとか正確さについてはなかなか満足出来る所までもって来たぞ,なんて思ってたら,今度は集団間で価値観が違うとか文化が違うとか,さらには個人間の感覚の違いを行間を読んで補完しろだとか,口ではあんなこと言ってるけど本当はあの子,将来ものまねしになりたいのよ,みたいな話になってくる.
今私達が持っているコミュニケーションの手段ってのはまだまだ発展途上で,その割に地球そのものを左右するくらいの大きな影響を与えるものになっている.自分が生きている世界が実のところなかなか心もとないものなんだなって気分になったりもしてしまいます.
でもその一方で,日本語が読める人には,この文章は読みにくくて何言ってんだか分からないなりに,この句読点で文章が整理されてるんだな,とか,ここで段落がかわってるってことは,話題が変わるかなにかしてるんだな,とかは最低限きっと分かる訳です.完全に分からないこともあるってのを認識した上で考えると,分かるってことの方がもの凄い気もしてくる訳です.
それどころか,晩ご飯の食卓でちょっと勇気を出してものまねしになりたいって口に出せば,きっとそれは家族に伝わる.世界を救うものまねをしたいって言えば,その後のゴゴの人生がどうなるかは別として,きっとお父さんにそれは伝わる訳ですよ.
そう思うと,自分が持っているコミュニケーション手段の乏しさを嘆くよりも,それを作り上げて来た人々の営為に思いを馳せて,もしくはそれを獲得するためにしてきた自分の努力に思いを馳せて,そんな捨てたもんじゃない,大したもんだよと評価出来る気もしてきませんか.要するに私でも明日ちゃんとできるような気がしてきませんか.
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テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行



















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